介護日記④

軽く呟きましたが、祖母が遠方の病院へ入院となりました。精神的に安定していないようですが、とりあえず病院は綺麗でみんな優しいと今は気に入っているそうです。
バタついていたので文章を書くのも止めていましたが、またボチボチ続きを書きます。
今日はそんな縁があった病院の話。



※多少ボカしておりますし「こういうことがあるんだ」とあくまで我が家の例として読んでください。

母と母方の祖父は難病。母は祖父からの遺伝なのだが、その病が遺伝すること自体とても珍しく治療と合わせて研究対象になっているぐらい。母以外の兄弟は発症せず、遺伝があれば唯一私だけなので母と叔父はそれも心配している。神経系なので進行すると身体がどんどん動かなくなる。母はまだ装具を着けて杖をついて歩いているが、祖父はほぼ寝たきりとなっている。
母方の祖母はガンで、発覚から約8ヶ月で亡くなった。それまで祖母が祖父の介護をしていたが、祖母の病の進行が早く誰も面倒を見れなくなった。そんなとき、母と祖父の主治医がいる長期療養の病院に入院した方が安心ではないですがという話がきた。祖母が不在となった家は嫌だったのと、施設ではなく病院という点が良かった。祖母が亡くなった今、自分はここで一生を終えると穏やかに暮らしている。母もいずれ身体が動かなくなったら、その病院に長期入院することがすでに決まっているそうだ。そして縁があり、その自分が入院する予定の病院で働いている。

そんな母方の家族と縁が深い病院なのだが、母が院長先生に「関東で長期療養できる、ここみたいな病院はないのか」と相談したらしい。
答えは「ない。都会はとにかく土地代が高いから、こんな慈善事業みたいな病院はたち行かない。しかももしあっても、順番待ちが長すぎる。」。

母も私の話を聞いて、祖母は施設では対応は無理と判断していた。入所が決まったとしても、恐らくお試しの段階で「ここでは世話をできない」と断られる。
とにかく気難しく元来の性格は嫌味っぽい、今は老人性うつも発症している。介護士さんや色んな人を呼びつけて構ってもらわないと気が済まない。だから家族にも意味不明なLINEや電話の嵐。
訪問看護も、始まった当初は毎日電話をかけた。ついには看護士さんが電話対応だけになり来ない状況になった。
施設となった場合、医療行為ができないので本人が苦しいと言えば家族が呼び出されて対応に追われるかもしれない。
ケアマネジャーや地域包括支援センターに行っても、誰も彼も他人事で家族が介護鬱を発症するのではないかという状況もわかってはくれない。
だからこそどうすれば良いのだろうと悩んでいた。
まあこんなことを書いている入院中の今も、母に意味不明の電話をしたり、「スマホのパスコードがわからなくなった」と昨日までは使えていたものがわからなくなり看護師さんを困らせ、病院のある土地に滞在中の父に電話があったりしたのが…。

母は「やはりないよなぁ」という感じだったのだが、わざわざそんなことを聞いてきた理由を問われたらしい。そして娘の家がこんな感じでと話したところ「もしこちらまで来られそうなら、空き次第になるがここへの入院はどう?そうやって若い人たちが介護の犠牲になることが1番嫌なんだ」と言ってくれたらしい。
「言質とったぞ!」ということではないが、母は「最終的にはそういう手段もあるから、あまり悩まないで」と父に言いたかったらしい。

その話はやっと生まれた希望だった。
ただその病院は祖父も入院し母も働いているので、遠方ですぐに対応できない場合は全て母に負担がいくのではないかと危惧していた。
何故なら祖母は実子である父や別家族より、明るく話しやすい元お嫁さんが大好きだったのだ。これは祖母だけではなく祖父も別家族も。
父も「既に離婚して縁は切れている貴方にそこまでの迷惑はかけられない」という感じだった。血縁は私のみ、あとは赤の他人なのだから。
だが母は「今回の介護の件で娘が苦しんでいるのが辛い。"介護が辛い"もあるが、1番は親の介護を誰にも相談できずにどんどん体調を崩す父を見て"何もできない"と辛そうにしているのが可哀想でならない。元々貴方のお母さんには自分が育てられなかった子供の面倒をここまで見てもらったという恩がある。別に貴方のためではない、自分の娘のためだ。」と答えた。

母は自分の兄弟、叔父と同居している。精神的に波がある母がまたうちと関わることを叔父はどう思うのだろうというのも気にはなっていた。叔父は「姪(私)が少しでも楽になるなら、自分も協力するよ」と言ってくれたそうだ。

長期療養目的の病院で、大阪や名古屋などの遠方からの入院もあり1年以上も会いに来ないということもよくあるらしい。だから料金を払えば洗濯代行もしてもらえるし、3ヶ月に1回でも顔を見せればとても多い方だそう。
私もコロナ禍では窓ガラス越しに面会していたので、冬の帰省の際にはじめて病院内に入った。明るく綺麗な病院だと思った。


話を聞いたあと、父は自分がまずこの病院に行って話を聞いてくるから前向きに考えてみないかと祖母に話した。
ここから祖母の抵抗と、せん妄が始まった。

介護日記③

世話をしないが同居されていると受けられるはずの介護サービスが一部受けられない(同居人がいるとその人がやってくださいと受けさせてもらえない)。どうしたものかなと思っていた矢先に、父と別家族が家のドアを破壊するぐらいの大喧嘩をした。
私はその日疲れていたので今日は下の家に行かないと父は1人で食事を届けに行った。そこで祖父の食事の準備をする別家族と遭遇し「もう祖父の世話もしたくない」という言葉を聞いて大爆発した。「我儘ばっかり言って、何もしないなら家から出て行け」と怒鳴られ、別家族はその日のうちに家を出た。祖父母も大声を聞きつけてコソコソと様子を見ていたらしいが、祖父は「親の顔を潰すなよ」と止めもせず訳のわからないことを言っていたらしい。


という経緯で、別世帯の我が家が祖父母2人の世話をすることになった。ただ2人とも仕事をしているので、四六時中世話などはできない。朝ごはんや昼ごはんは前日夜に準備して、硬質ケースに入れた紙にそれぞれのどの分の食事かを書いて一緒に置く。2人分の食事を父が上の階からは一気に運べないので私も手伝う。
父は自分の親の介護を自分の家族の介護放棄が原因で手伝わせているのはとても申し訳ないと思っているのが伝わった。それでも今私がこれを放棄したら父は壊れてしまうと思ったし、話を聞くことしかできないが話を聞いては手伝った。

本来であれば同居家族が連れて行くはずだったメンタルクリニックは診察券をどこに置いてしまったかわからないので予約を取り直して診察券も再発行してもらって、薬を貰いに行った。

その間に父は2ヶ月の介護休業を取ることを決めた。
介護休業中は無給になるし、まして父は異動したばかりだったので心配したがこのまま仕事中もいつ祖母から訳のわからない連絡がくるのかと思ったまま仕事はできないという判断だった。
介護休業の間に祖母の介護認定の区分を変更するのと入居できる施設を探す、祖父には自分の食事はコンビニなどで自分で買いに行けるように練習するつもりだった。


という計画を同居家族が出て行った後に立てていたのが、家出から2週間ほど経つと下の家で祖父母以外の人の気配がする。不思議に思っていると同居家族のスリッパがなく部屋のドアが閉まっている。戻ってきたんだと知った。
大喧嘩した父が行ってもまた大喧嘩するだけなので、私が「戻ってきたのか?ただ荷物を取りに来ただけなのか?いつまでいるのか?」と聞くと「ここは自分の家なので戻って来たし、ずっと居る」と答える。介護が嫌で出て行ったのに、結局1人では暮らせず介護もせずに居座るつもりかと思ったがそこは自分が口出すことではないのでグッと堪えた。
そのまま我が家が祖父母の食事の準備や世話をしていたが、ついに食事を届けに行った父と同居家族が顔を合わせた。
父が「今まで全部世話をしてもらって介護が嫌で出て行ったくせに戻ってきたってどういうことだ。そんな我儘は通らない、何もしないなら出て行け。」と言うと「全部自分がやる。こんなしょぼい食事しか準備していないのに大きな顔をするな。じゃあアンタは何をしてくれるんだ。」と怒鳴ったらしい。
結局感情的になって1人では出来ないという父の言葉も「うるさい」と聞かず、祖父母の食事・通院などの生活全般の世話は同居家族1人で、介護保険などの手続き関連は父がすることになった。介護認定の区分変更などは生活の話をしなければならないので前のように3人で分担してやるのが現実的だったが、自分の感情でしか判断ができない同居家族に冷静な判断を求めても無駄だった。

同居家族側にも言い分や、親に対する想いや、元々好きではない兄への気持ちなど山ほどあるのだと思う(兄からの正月の挨拶を無視するほど)。
でもそれとこれとは話が別で、今まで50歳以上になるまで1度も家から出ずに何不自由なく生活できているのは何が気に入らなくても間違いなく祖父母のおかげだ。
そして介護義務は子供達にあるし、同居している家族には重くのしかかる。1人でやれと言うのではなく、こちらも手伝うからというのは聞けずに0か100でしか判断ができない。同居していないだろう、と言いたいのだろうが私たち2人が同居するほどの広さなんてない。
同居が嫌なら出て行くしかないが、ここは自分の家だからと出て行かない選択をしたのは自分だ。それであれば何かしら関わるべきであると私は思う。というか、何で孫の私がやって貴方がやらないという選択肢が存在すると思っているんだ。甘い考えにも程があるのではないか、というのは私側からの意見である。



自分が準備すると言い始めたので祖父が自分で食事を買いに行く練習などはできなくなった。我が家は祖母が寝たきりになると危惧して体調が良さそうだったら1階に下りて食べさせるなど少しでも身体を動かしてもらったが、同居家族は下りてきてほしくないので自室からほぼ出さない(食事を届けてしまう)。
そんな中で祖母が入居できる施設はないかと調べてもらったが、そもそも常に酸素吸入をしていて熱があるなど嘘を吐き恐らく日に何度も呼び出すような患者は医療従事者がいる施設に入所だが、都内の施設はまず空きがないにそもそも料金がとても高い。難病と言ってもすぐに命には関わらず国や施設から緊急性があるかと言われるとそうではない。あとは精神病院しかないと言われ、誰かが仕事を辞めて自宅介護をするしかない状況なのかと父と私は絶望した。

そんなとき、私の誕生日の翌日、いつも通りに時間に帰宅すると父が電話をしていた。ケアマネジャーかと思ったが、明るくざっくばらんな口調で話している。失礼だが父も友人はあまりおらず、ましてや家のこともあってそんな話をする人なんていないだろうと思いながらリビングに入り、電話口から聞こえる自分とそっくりな声にひっくり返るかと思った。電話をしていたのは私の母だった。


長くなるので今日は私の父母の話が最後。
父母は私が小学校低学年のときに離婚した。私は父と暮らしていて、その間も色々ありすぎて割愛するが私が高校へ上がる前に母は実家がある鹿児島へ帰った。
それから約17年、私はコロナ禍前は年に1回ほど鹿児島へ行き母と会っていたが父は一度も母とは連絡を取らなかった。
母も母で色々あり、私は小さい頃は躾が厳しく怖すぎて苦手、父と別れてからは精神疾患もあり親になりきれない時と波がありすぎて好きではなかった。今年2月に行ったときは安定しており、これならもう大丈夫かと少し苦手意識が減り、今回の介護の件ではちょこちょこ連絡していた。
父は母の連絡先を消していたが母は消しておらず、今はケアマネジャーや訪問看護など様々な電話がかかってくるので知らない番号からの電話でも父は出るようにしていた。そしてちょうどこの時期は祖母がレスパイト入院をしており、家の電話が鳴ったあとに自分の携帯が鳴った。偶然が重なり、電話は繋がった。
電話が終わり、母から私にもかかってきた。「話を聞いてくれないかと思ったけど、ちゃんと話せたから良かった。娘に心配や迷惑をかけてばかりと泣いていて、本当に追い詰められていたんだと思う。話したのはね、貴方の(母方の)おじいちゃんも入院している病院に、遠いけどおばあちゃんも入れるかもって話。」と言われた。

介護日記②

家庭の情報がなかったので補足
・家は二世帯。下の階で祖父母・父の弟妹、上の階で父・私が暮らす。玄関は別なので完全に別世帯扱い。
・コロナ禍で職場で不特定多数の人と接する父と毎日満員電車で通勤する私はあまり会わない方が良いという判断で、2〜3年は玄関で挨拶する程度となる。
・祖父は認知症。要支援1だが、祖母が全ての生活の世話をしていた。
・今年3月までは食事の準備や家の掃除など、家のことは同居家族の分も含めて全て祖母がやっていた。



自宅の最寄駅にあるメンタルクリニックはできたばかりで比較的綺麗だった。
父が朝「何か気持ちを話したら楽になるかも」と話し、父・祖父母と同居している別家族・祖母で行った。1時間後ぐらい、祖母と別家族だけが帰宅した。祖母が案の定疲れたから帰りたいと駄々を捏ね、父は先生と話があるからと残ったらしい。
父は自分が祖母の呼び出し(仕事中はスマホをまったく見れないが、酷いときは職場にまで電話をかける)や何かで疲弊していることも話して、祖母の診察もあったが自分の診察も別で受けたようだった。父の話を聞ける人が私しかおらず、父は娘(祖母から見た孫)にそういう話をして心労をかけているのも嫌だったみたいなので、相談できて良かったのかなとぼんやり思った。

気持ちを落ち着かせる薬を貰ったが、飲むと頭がぼんやりして(多分落ち着かせるため)眠気などでフラつきもあるのか1日1回だった。なので渡す時間を誤ると早い時間に薬が切れてまた「苦しい」などの連絡の嵐になってしまう。
薬を本人に渡して多量に飲むということは昨今の事件などを見て心配だったので、家族が管理していた。
薬を飲み始めての状態が気になるのでまたすぐ診察の日はきたが、ここで連れ出すのがめちゃくちゃ大変だった。あの病院は行くと質問ばかりして疲れる、空気が澱んでいるなど言いたい放題でとてもじゃないけど付き添い1人では連れて行けない。父が行けないときは私と別家族で連れて行ったが、早く帰りたいなど大変だった。


ここで一つ事件が起こる。祖父母と同居している家族が、祖母の食事の準備をしたくないから父がしてくれと言った。祖母は食事制限はないことを父から説明しても「あれはやだ」「これは食べない」「ご飯が硬い」など、用意しても食べないことが多くなっていた。祖父は特に好き嫌いはないので、出されたものを黙って食べた。祖母の我儘に、ある日仕事帰りに購入したお弁当を少しも食べずに捨てていた瞬間に爆発した。
別世帯で生活リズムもまったく違う父が準備するのもかなり大変で、一緒に暮らす祖父と祖母の食事のタイミングが違うのも変な話だが、父はわかったと祖母の食事の準備だけするようになった。
そうして祖父母が食事を別にするようになるが、2週間ほどすると今度は「祖父の世話もしたくない」と言い出した。祖父は認知症があり、食事に呼んでもこない・水筒(水分を摂らせるために朝に水筒を渡して、夜また別の水筒を渡す交換制にしていた)を持ってこないなど生活能力が極端に低い。言ったことをやらない、という認知症患者に言ってもしょうがないのかもしれないがストレスを爆発寸前にまで溜めていた。

私はただまあまあと宥めていた。ここで父と会ったら大喧嘩になるとわかっていたからだ。
というのも、父も祖母の食事の準備に相当ストレスを溜めていた。本来は家を出て行かないと選択した、家のこと(食事など)も全て祖母にしてもらい、家に纏わる諸経費を払わず家に少しのお金しか入れておらず(それも祖母は別口座に貯めており、今回のことでその口座の通帳は渡されたので実質何も払っていなかった)生活の面倒を見てもらっていたのに何様だ、嫌なら出て行けと別家族に怒っていた。
別家族は別家族で、今まで親らしいことを何もしてもらってないのに何で面倒を見なければいけないのかと言う。私はこれまで家族らしい家族をしていなかった父方の家族が、今更この介護を通して家族の絆を求められるのは難しすぎる課題ではないかと思った。


私は、高校3年間のお弁当を欠かさず作ってくれたこと、奨学金なしで四年制大学に行かせてくれたこと、新卒で入社した会社で精神が参ってしまい退職して2ヶ月ほど無職のときも「ゆっくり考えれば」と生活の面倒を見てくれたこと、今も都内の実家に微々たる生活費しか入れずにのらりくらりと住まわせてもらっていることに感謝している。家族なので「何だコラァ!」と喧嘩することもあるが、それでも経済的な面(趣味にお金を使いたい)から家を出ないと選択しているのは自分だ。
そういう考えになるのは、父が私と交流を持って旅行や行事も欠かさずにコミュニケーションを取っていたからだ。私の好きなものも朧げながらも覚えて、会話をしていた。自分は親に何もしてもらったこともないし何なら親のせいで人生が狂わされたと思っているが、自分の子供には好きなことを満喫させたいし交流を持って育てたいという気持ちからだった。


別家族も祖父母から私と同じぐらいの生活支援、なんなら私以上に受けていたと思うがそれを「何もしてもらっていない」という。その認識の差を私から指摘しても怒り狂うだけなので言わなかった。
別家族のことは色々と可愛がってもらって好きだったし感謝はしているが、後に出てくる介護放棄の件は納得がいってないし我儘がすぎると今現在でも思っている。
このまま大好きな家族でいられなかったことは残念だが、私は別家族が世界一嫌いで仲が悪い父の娘なのでしょうがないのだろう。

介護日記①

そもそも応援している俳優さんのこと以外はあまり文章にしないけれど、4月から怒涛の日々や感情をふと私はこれを言語化できるのか、いう気持ちになった。

はじまりは祖母が救急車で病院に運ばれ、3日程度の検査入院をしたことだった。元々持病(難病と呼ばれるものだが何種類かあり、そこまで重篤と言われる部類ではなかった)で酸素の吸入チューブをつけている祖母。本来は(というか多分今も)常時着用の必要はないが、本人が息が苦しい苦しいと入院後からずっと言い出した。何かあるとすぐに救急車を呼びたがる。最初は「何かあったら…」と対応していた家族も3回目ともなると「本当に苦しいのか?」と疑問を抱く。病院で検査しても肺の硬化は進行していないし、心臓も小さくはなっていない。悪性になっているわけでもない。それでも何かと理由をつけて救急車を呼びたがる。息が苦しい、膀胱が痛い、熱がある。そのうち家族も、持病ではなく他の病なのではないか?と思うようになった。

朝晩お構いなしに仕事がある家族を呼び出した。
決定的だったのが、朝4時頃に膀胱がいつもとは違う痛みだ病院へ行くと言い出した日だった。その日もちろん私は仕事があったが、ここで認知症の祖父が同行しても何か役に立つわけではないと思い「じゃあ一緒に行ってあげるよ」と言った。呼吸器内科への受診は難病の方でとはわかるが、泌尿器科に関しては誰も何の症状で受診しているのかを誰も知らない。ただ異常な食事制限(酸っぱいもの・大豆は食べられないなど)と言う。
泌尿器科の看護師さんは優しく、祖母抜きで先生と話がしたいと受付時に伝えたところ上手く対応してくれた。「お恥ずかしい話ですが、家族の誰も何の症状で受診しているかわからなくて。何の病気なんでしょうか?」と切り出すと、「どこも悪くないんですよ」と予想通りの回答をされた。
元々排尿時の痛みで通院しており、確かに初診時はその所見があったため薬で対応していたという。薬でそれは完治しているが、何かと理由をつけて本人が受診したがって検査もしたがる。ざっくり要約するとそんな感じだった。
この時点で精神的な病だと確信があったので「そういう理由で同じ病院内にある精神科に紹介状を書いてもらえないか」と聞いたが、紹介状はちょっとと言われた。通院している病院の精神科はかなり古めかしくて、聞く前からここへの受診は嫌がるかもしれないと思ったのであっさりと引き下がった。
引き下がったが、外で聞いていた受付の看護師さんが「おばあさんの症状は恐らく精神的なものだから、早めに受診した方が良い」と別部署にあたる精神科の受付番号を渡してくれた。とても有り難かった。
話だけでも聞いてみようと自分の婦人科の件で聞きたいことがあるとお会計待ちに祖母を置いて、精神科の受付に行った。「初診でも受けられますか?病院の別の科での受診はあります。」と聞いたら、紹介状がないと初診料が高いこと・精神科という響きを嫌がる人が多いので本人の同意がなければ受診はとても難しいんじゃないかと言われた。
本人と話をしなければどうにもならないとは私も思っていたが、本人が行くというとは思えなかった。その日は祖母もいたので「考えてみます」とお礼を伝えて、祖母だけタクシーに乗せて自宅に帰し自分は出勤した。

その日、早めに帰宅した父が祖母から「孫だけが先生と話して何か聞いていた」と話していたというのを聞いて動き回っていたのはわかったんだなあと思った。「心配していたから沢山聞いてくれてたんだよ」とフォローしたら「そうね」とご機嫌だったらしい。父に食事制限も泌尿器科で受診する理由も何もないと伝えると「やっぱりね」という反応だった。その日のうちに自宅の最寄駅にあるメンタルクリニックの予約をしたり初診の紙を書いたりした。

推しが演劇調異譚xxxHOLiCで壱原侑子役を演じる話。

xxxHOLiC全19巻、戻4巻読了
※個人の気持ち、感想です



推しがxxxHOLiCという作品の壱原侑子役を演じることになった。
xxxHOLiCを読んだ。
推しは四月一日に近いな。
でもだからこそ、このセカイの次元の"壱原侑子"に太田さんはなれる。
そう思った。


侑子さんは導くモノ、四月一日は導かれるヒト。
侑子さんはいつか自分が消えるセカイで、
四月一日が幸せに生きられるように、
様々な事柄を通して四月一日に選択を促し、
選択をしたことで来る未来に、
彼が存在てくれるように、
来るべき日まで店で願いを叶え続ける。

印象的だったのは、四月一日の自分を犠牲にするコトをその選択は自分も周りのヒトも傷つけると諭すように見守るコト。
四月一日は自分の大切なヒトを自分よりも優先する。自分が傷ついていても、対価を支払っても。
それを侑子さんも、百目鬼も、ひまわりも、遙さんも心配していた。
「逢えると信じているのなら その時、あのひとが泣くような事はしてはいけないよ」
遙さんが夢で諭した言葉が忘れられなかった。
自分が傷ついても何をしても大切に思うモノが守るという選択を、その大切に思うモノは望まない。
推しを自己犠牲的だと思っているわけではないけれど、推しは四月一日のような選択をして周りのヒトを傷つけるコトがある役を演じる方が多いように感じる。
でも、推しはそれは大切に思うものを傷つけると気付かせる侑子さんの立場を演じる。
変化するヒトではなく、変化を促すモノとなる。
導くモノになるとき、推しはどんな表情でこの世界を憂うのだろう。


四月一日のように迷って選択して自らの未来を作っていく姿は想像できても、侑子さんのように迷う本人の選択に任せながらも彼がきちんと自分の選択をできるように道を指し示す行動をすることが、自分は簡単には想像できなかった。

それは推しの"刻"は誰かの想いで留まる刹那ではなく、迷いながらも本人が選択して作り出す"刻"だからなのか。
彼もまだ、道半ばで選択する立場だから。



推しはClub SLAZYというシリーズ作品で、とある役を演じた。
セカンドエースのBloom。
死にたがりで、ワガママで、人を想うことが大好きなヒト。

そんなBloomと深い関わりがあるQという役は、ある言葉を口にする。
「自分の選択が常に最良」

それは自分たちの過去も深く関わる言葉。
8=Bloomが選択したコトで、9=Qは身を引き裂かれるような辛い想いをした。
8も、大切な9を自分の選択で悲しませて身を割くような別れを経験した。
それでも、その対価を支払っても
自分たちと共に存在ったJr.=Deepの側に居たかった。
選択をするコトで生んだ悲しさや辛さ。
選択したコトで生んだ未来の嬉しさ。
推しは違う役を通して経験したことがある。
このとき推しは変化するヒト側であった。
変化する兆しは些細なことである、ということもきっと理解していらっしゃるのかもしれない。
そういえばこの作品も、舞台は本当に或る世界なのか無い世界なのか、女性たちの悲しみに呼応して現れるメンズキャバレーという感じなのでわからないな。


閑話休題

推しはどちらかというとヒトの欲から来る選択に左右される、エグみが多い役を演じることが最近多かったようにも感じる。
そして本人も、人間くささも自分の感情にも左右される。
当たり前ですね、ヒトとして生を毎日全うされているのだから。

だからこそ"壱原侑子"をどう演じるのか、とても興味深くなった。
侑子さんを演じるには、恐らく全てを理解する。
世の道理を感じて、店でお客から対価を貰い、願いを叶え続ける。いつかくるその"刻"がくるまで。自分が消えることを理解しながら。
きっとまた、推しは頭がぱっかーんとなるぐらい悩んで、抱えることが苦しくなるぐらいの事柄を受け止めるのだろうなと思う。
お客の願いを叶える"壱原侑子"を演じるために。

四月一日の気持ちもきっと深く理解しながら
侑子さんとして四月一日と店で願いを叶える。
本人もおっしゃられていましたが、
推しが侑子さんを演じることも、夢か、現実か、或るのか、無いのか。
違う次元の、世界の"壱原侑子"。
普段生活している性別など関係なくて。
太田基裕さんが選択されて選択して"壱原侑子"として生きれる世界が、今自分の目の前にある世界と考えると、推しが侑子さんを演じる縁に感謝する。
侑子さんが四月一日が存在てくれるという願いをどう叶えようとするのか、四月一日役の阪本さんや様々な人々との交流を通してまた作られていくんだと思う。
太田さんが侑子さんを演じることも、偶然ではなく、全ては必然だから。


推しの侑子さんのお写真については、凄艶、妖艶…なんだかどれもピンとこないけど、とにかく美しいです。ビジュアルのポスター出して欲しい。まあこれは置いておいて。



この情報解禁に触れたことで思ったこと。
チケットとかチケットとかチケットとかへの不安。推しに対する言葉が溢れ出して、推しの名前がトレンド入りしていること。
これは嬉しくもあり、ただ良い意味でも悪い意味でも繊細な方でもあるように見えるから、勝手に推しが自分に対する様々な言葉を受けてどう考えたんだろうという勝手に応援している側が生んだ感情。

でも推しは情報解禁後も淡々としていたというかニュートラルでいつも通り。
それはそう、今は声の王子様のライブ、ダブルトラブル、夏になればMARS REDとその前にもきっと解禁していないお仕事をまだ抱えているのかもしれない。

秋の舞台の前に、自分も有り難いことに推しを観る機会はある。
常に目の前の推し全てに集中して、終わったら気が狂いながらもヘラヘラする。それは別に、爆発するぐらいの情報を与えられたとて同じではないのか?


沢山の事柄に動揺して想ったり考えたりもしたけれど、まずは目の前のことに邁進する推しを観ていきたいなと思う。
私の願いは、推しを推したいと思ったときから変わらずに"推しを沢山観て笑顔になること"だから。
太田さんが作る新しい景色、とても楽しみにしています。願わくば、劇場で沢山観れると良いな。絶対だいじょうぶ、だよ!


2021年もまた一緒に歩ませていただけるところまで、よろしくお願いしますね!

2020年、推しに感謝をこめて

2020年も終わりますね。

大好きなもっくんのバースデーイベントで始まった2020年、また今年も沢山推しを応援できることがさも当たり前のように考えていました。まさかこんな情勢になるなんて考えもしなかったな…。まあ、総括がてら。

バースデーイベントは無事に開催されて本当に良かったなと思います。太田さんが誕生日当日にイベントを開催する選択してくれたことが起点となり、ファンは太田さんの姿が観られるわけですからね。ハイタッチの一瞬で目を見て感謝を伝えられる機会があるのは幸せなことだなと思いました。ハイタッチでの一言を直前で変えたんですが、その言葉で推しが楽しそうに笑ってくれたように見えたり、伝えた言葉をキチンと受け取ってくれる推しは凄いなぁと、本当に幸せな1日だったと噛み締める。楽しかったなぁ。


推しを応援する事などを改めて考えられる方も多かったように感じますが、私は推しが新たに作曲に挑戦したり、ムービーなどをこまめに更新してくださったり、公演は中止になりましたが積極的に何かを発信してくださったのであまり寂しい気持ちにはならないというか…ただ表舞台から遠ざかってしまうのかな、など何か勘繰ってしまうこともあったんですが…ファンは、推しの選択を受け入れることしか出来ないですからね。

真っ直ぐに、愚直に応援できたのは、推しである太田さんが表舞台に立ち続けて表現し続けてくれるからだと思います。
EDGESを観て、自分は俳優の太田基裕さんが大好きだと心から思いました。それはどの舞台を観ても常に思います。
私は観劇が趣味というより推しが趣味という感じなので、太田さんがいなければ自分が舞台上に観たい景色は完成しないんだなぁと。
推しが表現したいものを全て敏感に感じ取れるかというと他人なのでそんなことできないですが、自分が推しを観て想った感情を言葉にするのは拙いですがしていきたいと思います。そんな唯一無二の色を彩り表現する推しは、とても大切に沢山愛されて欲しいと心から願います。
恋愛感情とはまた違いますが、推しはとても大好きで世界で1番大切な存在です。その感情は応援している限り変わらないと思います。推しが表舞台に立ち続けてくれること、推しがいなければ応援活動なんて勿論できないので感謝でいっぱいです。推しは凄いぞ。

推し事もままならない1年でしたが、私はその中で変わらずというか…。ステイホーム期間明けのボーイズインザバンドの舞台に立つ太田さんを観て、嬉し涙より太田さんが観れることが嬉しくて嬉しくて思わず笑顔になってて。"変わらないものなんてない、でも決して変えてはならないものがある"と現在全国公演中のミュージカル ローマの休日のアン王女の言葉を借りるとするならば、私にとっての決して変えてはならないものは推しに教えてもらった"推しを観て笑顔になること"なのだなと思いました。



私生活でも大きな出来事がありました。
まだ気持ちの整理はつけられていないけれど、整理をつける為の準備は自分の中では始めているつもりです。


色んなことがあった年ですが、2020年もまた推しを好きな気持ちでいっぱいで終われて良かったなぁと心から思います。
2021年も歩めるところまで、よろしくお願いします。


推しの太田さんに最上級の感謝をこめて。
いつもありがとうございます!

応援スタンス

フォロワーさんのブログを見て、
応援スタンスについて書いてみました。



●基本情報
20代会社員。平日仕事、土日祝休み。実家暮らし。
有給は推しの為にある!と言って休みはとりやすい環境。
ジャニーズ、アニメ、お笑い、声優を経ての今です。
ジャニは関西8人の緑を中学生から、声優は鈴木tthsさんを応援してました。

●推しについて
大体複数人を並行して推してたんですが、今は1人を応援しています。
2年ぐらい前まではしゅーとくん、とりちゃん、現推し、ジャニ推し、声優推しという離れ業をやってました(どうやって生きてたんだろう…)。でも沢山あったときは1人に対する熱は今より軽かったかもしれません。それで良かった。
自分は応援がアイデンティティーみたいなものなので、1つに固執してその熱を失うのが1番怖いんです。自分の中の軸になっていた複数人応援というスタンスをやめても、絶対に応援したいのが推し。推しという言葉を使っているのも初めてかも。推しを応援してて、他に対する関心が薄まっている。こわい。
今この人を応援しないと後悔するっていう気持ちで応援しているくせに、1つに固執して無くなったときが怖いと悩む情緒不安定な面が大きいです。

●好きになる基準
あんまりタイプとかないみたいなので、本当に惹かれたら大好きになる!って感じです。
でも今の推しは半年ぐらいかけて好きになっていったという…気になった当初に宣材写真を見たら「あれ、人がちがうかな?」と思ってました。なのでそんなに積極的に観ることはなかったんですがタイミングが合って観ることが多くなり、ある舞台に立つ姿に光と救われたような気持ちを感じての今です。
表舞台に立つ、活躍する姿を必ず観たいと思ったらもう大好きなんだと思います。

●舞台を観に行く基準
推しが出ているかどうか。
家族旅行や身内の冠婚葬祭が被らない限りは行きます。
あと特に思い入れのあるシリーズ物は観に行きますかね…。
友達に誘われた時は予定とお金が合えば行きます!

●舞台以外のイベント等に行く基準
上と同じ。

●グッズを買う基準
推しの顔と言葉があるかどうか。
パンフレットは推しが出演しているのは必ず買います。
舞台のモチーフは気に入ったら買うときもあります。

●雑誌を買う基準
推しが載っているかどうか。
忘れてなければ1ページだろうが何だろうが、常に顔が良いので何でも買います。

●映像を買う基準
推しが出ているかどうか。
でも舞台作品の映像化でないと買うのを忘れたりします(おしゃ◯や)。

●プレゼント・手紙について
行く公演はマチソワでない限り、必ず手紙は書きます。マチソワはどちらかだけです。
手紙は下書きをして本書きなので大体2時間ぐらいかかります。内容は大体舞台やインタビューなどで此処が良かったとか…思ったら書くかもしれませんけど、否定的なことは推しに対してあんまり思わないので書きません。友人たちが読んだところ「細かいところまで見過ぎ」「宗教」という感想でした。
プレゼントは大体手紙に添えて入れてますが自分の世界をしっかりと持つ推しでセンスに自信のないものを贈っても…という気持ちがあるので消耗品ばっかりです。使用品が見えたらそれを送るみたいな。
出演者の方が多いとその場で小さい紙にお名前を書いて貼ったりすると思うんですが、その場で書くと推しの名前を上手くなくてヘコむときがあるので、事前にメッセージカードに書いて貼ってから入れるようにしてます。

●同厨について
特に拒否も何もしてないです。
でも宗教みたいな推し方なので特殊で合わないと思われる方もいるかもな~…と思うときもあります。
リアコだと思われてる時もありますが、ちがいますよー。

●総合的な応援スタンス
宗教。
リアコではないですが、人間として惚れていないと此処まで応援はできないと思っている部分もあって…愛のある応援をと考えて、舞台に立つ姿と景色に恋い焦がれています。とにかく夢を魅せてくれる存在であってほしいと願う。アメリの歌にもあったように、1度持った愛はなかなか治らないんですね。常に推しを演じてくれてありがとう、夢を魅せて好きでいさせてくれてありがとうって気持ちがあります。
人間みたいに思っていないように見えるかもしれませんが、推しの人間らしい闇や悩む姿にとても共感しています。芸術品のように美しく、でも人間臭さを捨てない推し。応援していて幸せな気持ちにさせてくれるのが推し。何処まで一緒に平行しながら歩めるかはわかりませんが、推しがとてもすきというのと尊敬は忘れずに応援していきたいです。
そして毎日褒めて愛でてというスタンスは変わらずにいたいと思います。いちばんだいすきな推しの良さを、とにかく言葉にして自分のモチベーションを上げていきたいんですよね。
ちなみに最近1番すき…となったのは自前ではない黒縁メガネを衣装で着用していたときです。メガネ。かわいい。推しは世界一!これからも大切に応援していきたいです。