介護日記④

軽く呟きましたが、祖母が遠方の病院へ入院となりました。精神的に安定していないようですが、とりあえず病院は綺麗でみんな優しいと今は気に入っているそうです。
バタついていたので文章を書くのも止めていましたが、またボチボチ続きを書きます。
今日はそんな縁があった病院の話。



※多少ボカしておりますし「こういうことがあるんだ」とあくまで我が家の例として読んでください。

母と母方の祖父は難病。母は祖父からの遺伝なのだが、その病が遺伝すること自体とても珍しく治療と合わせて研究対象になっているぐらい。母以外の兄弟は発症せず、遺伝があれば唯一私だけなので母と叔父はそれも心配している。神経系なので進行すると身体がどんどん動かなくなる。母はまだ装具を着けて杖をついて歩いているが、祖父はほぼ寝たきりとなっている。
母方の祖母はガンで、発覚から約8ヶ月で亡くなった。それまで祖母が祖父の介護をしていたが、祖母の病の進行が早く誰も面倒を見れなくなった。そんなとき、母と祖父の主治医がいる長期療養の病院に入院した方が安心ではないですがという話がきた。祖母が不在となった家は嫌だったのと、施設ではなく病院という点が良かった。祖母が亡くなった今、自分はここで一生を終えると穏やかに暮らしている。母もいずれ身体が動かなくなったら、その病院に長期入院することがすでに決まっているそうだ。そして縁があり、その自分が入院する予定の病院で働いている。

そんな母方の家族と縁が深い病院なのだが、母が院長先生に「関東で長期療養できる、ここみたいな病院はないのか」と相談したらしい。
答えは「ない。都会はとにかく土地代が高いから、こんな慈善事業みたいな病院はたち行かない。しかももしあっても、順番待ちが長すぎる。」。

母も私の話を聞いて、祖母は施設では対応は無理と判断していた。入所が決まったとしても、恐らくお試しの段階で「ここでは世話をできない」と断られる。
とにかく気難しく元来の性格は嫌味っぽい、今は老人性うつも発症している。介護士さんや色んな人を呼びつけて構ってもらわないと気が済まない。だから家族にも意味不明なLINEや電話の嵐。
訪問看護も、始まった当初は毎日電話をかけた。ついには看護士さんが電話対応だけになり来ない状況になった。
施設となった場合、医療行為ができないので本人が苦しいと言えば家族が呼び出されて対応に追われるかもしれない。
ケアマネジャーや地域包括支援センターに行っても、誰も彼も他人事で家族が介護鬱を発症するのではないかという状況もわかってはくれない。
だからこそどうすれば良いのだろうと悩んでいた。
まあこんなことを書いている入院中の今も、母に意味不明の電話をしたり、「スマホのパスコードがわからなくなった」と昨日までは使えていたものがわからなくなり看護師さんを困らせ、病院のある土地に滞在中の父に電話があったりしたのが…。

母は「やはりないよなぁ」という感じだったのだが、わざわざそんなことを聞いてきた理由を問われたらしい。そして娘の家がこんな感じでと話したところ「もしこちらまで来られそうなら、空き次第になるがここへの入院はどう?そうやって若い人たちが介護の犠牲になることが1番嫌なんだ」と言ってくれたらしい。
「言質とったぞ!」ということではないが、母は「最終的にはそういう手段もあるから、あまり悩まないで」と父に言いたかったらしい。

その話はやっと生まれた希望だった。
ただその病院は祖父も入院し母も働いているので、遠方ですぐに対応できない場合は全て母に負担がいくのではないかと危惧していた。
何故なら祖母は実子である父や別家族より、明るく話しやすい元お嫁さんが大好きだったのだ。これは祖母だけではなく祖父も別家族も。
父も「既に離婚して縁は切れている貴方にそこまでの迷惑はかけられない」という感じだった。血縁は私のみ、あとは赤の他人なのだから。
だが母は「今回の介護の件で娘が苦しんでいるのが辛い。"介護が辛い"もあるが、1番は親の介護を誰にも相談できずにどんどん体調を崩す父を見て"何もできない"と辛そうにしているのが可哀想でならない。元々貴方のお母さんには自分が育てられなかった子供の面倒をここまで見てもらったという恩がある。別に貴方のためではない、自分の娘のためだ。」と答えた。

母は自分の兄弟、叔父と同居している。精神的に波がある母がまたうちと関わることを叔父はどう思うのだろうというのも気にはなっていた。叔父は「姪(私)が少しでも楽になるなら、自分も協力するよ」と言ってくれたそうだ。

長期療養目的の病院で、大阪や名古屋などの遠方からの入院もあり1年以上も会いに来ないということもよくあるらしい。だから料金を払えば洗濯代行もしてもらえるし、3ヶ月に1回でも顔を見せればとても多い方だそう。
私もコロナ禍では窓ガラス越しに面会していたので、冬の帰省の際にはじめて病院内に入った。明るく綺麗な病院だと思った。


話を聞いたあと、父は自分がまずこの病院に行って話を聞いてくるから前向きに考えてみないかと祖母に話した。
ここから祖母の抵抗と、せん妄が始まった。