介護日記②

家庭の情報がなかったので補足
・家は二世帯。下の階で祖父母・父の弟妹、上の階で父・私が暮らす。玄関は別なので完全に別世帯扱い。
・コロナ禍で職場で不特定多数の人と接する父と毎日満員電車で通勤する私はあまり会わない方が良いという判断で、2〜3年は玄関で挨拶する程度となる。
・祖父は認知症。要支援1だが、祖母が全ての生活の世話をしていた。
・今年3月までは食事の準備や家の掃除など、家のことは同居家族の分も含めて全て祖母がやっていた。



自宅の最寄駅にあるメンタルクリニックはできたばかりで比較的綺麗だった。
父が朝「何か気持ちを話したら楽になるかも」と話し、父・祖父母と同居している別家族・祖母で行った。1時間後ぐらい、祖母と別家族だけが帰宅した。祖母が案の定疲れたから帰りたいと駄々を捏ね、父は先生と話があるからと残ったらしい。
父は自分が祖母の呼び出し(仕事中はスマホをまったく見れないが、酷いときは職場にまで電話をかける)や何かで疲弊していることも話して、祖母の診察もあったが自分の診察も別で受けたようだった。父の話を聞ける人が私しかおらず、父は娘(祖母から見た孫)にそういう話をして心労をかけているのも嫌だったみたいなので、相談できて良かったのかなとぼんやり思った。

気持ちを落ち着かせる薬を貰ったが、飲むと頭がぼんやりして(多分落ち着かせるため)眠気などでフラつきもあるのか1日1回だった。なので渡す時間を誤ると早い時間に薬が切れてまた「苦しい」などの連絡の嵐になってしまう。
薬を本人に渡して多量に飲むということは昨今の事件などを見て心配だったので、家族が管理していた。
薬を飲み始めての状態が気になるのでまたすぐ診察の日はきたが、ここで連れ出すのがめちゃくちゃ大変だった。あの病院は行くと質問ばかりして疲れる、空気が澱んでいるなど言いたい放題でとてもじゃないけど付き添い1人では連れて行けない。父が行けないときは私と別家族で連れて行ったが、早く帰りたいなど大変だった。


ここで一つ事件が起こる。祖父母と同居している家族が、祖母の食事の準備をしたくないから父がしてくれと言った。祖母は食事制限はないことを父から説明しても「あれはやだ」「これは食べない」「ご飯が硬い」など、用意しても食べないことが多くなっていた。祖父は特に好き嫌いはないので、出されたものを黙って食べた。祖母の我儘に、ある日仕事帰りに購入したお弁当を少しも食べずに捨てていた瞬間に爆発した。
別世帯で生活リズムもまったく違う父が準備するのもかなり大変で、一緒に暮らす祖父と祖母の食事のタイミングが違うのも変な話だが、父はわかったと祖母の食事の準備だけするようになった。
そうして祖父母が食事を別にするようになるが、2週間ほどすると今度は「祖父の世話もしたくない」と言い出した。祖父は認知症があり、食事に呼んでもこない・水筒(水分を摂らせるために朝に水筒を渡して、夜また別の水筒を渡す交換制にしていた)を持ってこないなど生活能力が極端に低い。言ったことをやらない、という認知症患者に言ってもしょうがないのかもしれないがストレスを爆発寸前にまで溜めていた。

私はただまあまあと宥めていた。ここで父と会ったら大喧嘩になるとわかっていたからだ。
というのも、父も祖母の食事の準備に相当ストレスを溜めていた。本来は家を出て行かないと選択した、家のこと(食事など)も全て祖母にしてもらい、家に纏わる諸経費を払わず家に少しのお金しか入れておらず(それも祖母は別口座に貯めており、今回のことでその口座の通帳は渡されたので実質何も払っていなかった)生活の面倒を見てもらっていたのに何様だ、嫌なら出て行けと別家族に怒っていた。
別家族は別家族で、今まで親らしいことを何もしてもらってないのに何で面倒を見なければいけないのかと言う。私はこれまで家族らしい家族をしていなかった父方の家族が、今更この介護を通して家族の絆を求められるのは難しすぎる課題ではないかと思った。


私は、高校3年間のお弁当を欠かさず作ってくれたこと、奨学金なしで四年制大学に行かせてくれたこと、新卒で入社した会社で精神が参ってしまい退職して2ヶ月ほど無職のときも「ゆっくり考えれば」と生活の面倒を見てくれたこと、今も都内の実家に微々たる生活費しか入れずにのらりくらりと住まわせてもらっていることに感謝している。家族なので「何だコラァ!」と喧嘩することもあるが、それでも経済的な面(趣味にお金を使いたい)から家を出ないと選択しているのは自分だ。
そういう考えになるのは、父が私と交流を持って旅行や行事も欠かさずにコミュニケーションを取っていたからだ。私の好きなものも朧げながらも覚えて、会話をしていた。自分は親に何もしてもらったこともないし何なら親のせいで人生が狂わされたと思っているが、自分の子供には好きなことを満喫させたいし交流を持って育てたいという気持ちからだった。


別家族も祖父母から私と同じぐらいの生活支援、なんなら私以上に受けていたと思うがそれを「何もしてもらっていない」という。その認識の差を私から指摘しても怒り狂うだけなので言わなかった。
別家族のことは色々と可愛がってもらって好きだったし感謝はしているが、後に出てくる介護放棄の件は納得がいってないし我儘がすぎると今現在でも思っている。
このまま大好きな家族でいられなかったことは残念だが、私は別家族が世界一嫌いで仲が悪い父の娘なのでしょうがないのだろう。